「繰りかえしとこころ」の研究

(c)sesensitka-X980110

半年ほど前、ひさしぶりに奈良を歩いて、東大寺、法隆寺などをまわりました。
京都で打ち合わせがあったので、そのついでです。

京都や奈良の街を歩くのは、ほんとうに愉しみにあふれていますね。
自分は仏像や襖絵をみるのも好きですし、なにより庭、そして建築が旅の目的になっていることが多いのですが、これにくわえて、ささやかな愉しみがあります。
それは、「繰りかえし」の造形です。

京都・奈良の街を歩き社寺を訪ねると、石垣や格子など、あちらこちらで、繰りかえしの美、反復の美をたくさんみることができる。それをたのしみにしているんです。
たとえばこの写真の塀のような光景…。出会うたび、脚をとめて見入ってしまいます。

(c)sesensitka-X980118

たんたんと繰りかえすかたちの前に立つと、だんだんと気分が静かになってゆくようです。
砂浜にこしかけて、波打ちぎわをながめているときのようなこころもちです。

とぎれとぎれになってしまっていた、自分の内側の世界と、身のまわりの世界・自然とのつながりをすこしずつ取り戻してゆけるような気がします。

「繰りかえし」というものには、ひとのこころをおだやかにし、静かに整えてくれるはたらきがあるのではないでしょうか。

(c)sesensitka-X980121(c)sesensitka-X980122(c)sesensitka-X980133(c)sesensitka-X980130(c)sesensitka-X980129(c)sesensitka-X980126(c)sesensitka-X980123(c)sesensitka-X980132

(写真:最初の2枚は東大寺付近、それ以外は法隆寺境内)

繰りかえしの造形、奈良は格別うつくしいけれど、みのまわりにもたくさんあって、探し始めるといろいろみつかります。
もちろん、人の手によるものだけではなく、自然の造形、自然のいとなみのなかにも、たとえば木々や雲、雨の様子などなど、あらゆるところでさまざまに観ることできます。
時間的な繰りかえしもありますよね。月の満ち欠けや、毎年わたってくる渡り鳥、などです。(時のめぐりは、昨年の時間に関する展示でも、大切なテーマのひとつでした)

ところで、人の手による繰りかえしの造形について考えてみたとき、大量生産された工業製品によるパターンも思い浮かびます。現代都市の建築や街並みは、そうした機械的な反復によってつくられていることが多いですよね。ビルも、塀も、家の壁も…。

機械の反復と、たとえば今回の奈良の造形をくらべてみるとどうか。
やはり、作り手が自然の素材とひとつづつ対話をしながら作りあげたもののほうが、繰りかえしがこころにふれる状況が多いように思います。
その違いは、繰りかえしを構成するひとつひとつの単位同士が完全に同じかどうか、や、つくる場面にどれだけ人間が関わっているか、どんな時間をかけているか、などにあるのかな、と思います。

建築だけでなく、手仕事による編みかごなども、それと向き合い眺めていると、どこかこころが整ってゆくようなあたたかい静けさを感じます。それは、造形的にたいへんうつくしいものであっても、工業製品ではあまり感じられないたぐいのものです。

では、手仕事でないとだめなのか。というとどうもそうでもないようで、海岸に並べられたテトラポットなども、ああいいな、と感じるときがあります。不思議です。

(c)sesensitka-0901-Miurafuji-028

三浦海岸(神奈川県)

いまあらためてこの写真をみながら考えてみると、テトラを据えるときに海という自然の営みとの対話があっただろうこと、完全にきっちりぴったり置いていない(またはあとからずれ動いている)こと、時を経てひとつひとつのテトラに個性がでてきていること。などなどが、鍵なのかな、と思いました。

「繰りかえしとこころ」の研究は続きます。
いずれ、自然のなかの繰りかえしについても、この欄に書いてみたいと思います。

(佐々木光)

Advertisements